11人のカウボーイ | 1971 アメリカ WB THE COWBOYS |
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ストーリー | ゴールドラッシュの頃、牧場主のウィルは1500頭もの牛を冬前に移動させなきゃいけないのに仲間に逃げられてしまった。しょうがないので学校に通う11人の少年たちを牧童としてかりだして・・・ | |||
監督 | マーク・ライデル | |||
出演 | ジョン・ウェイン | ロスコー・リー・ブラウン | コリーン・デューハースト | |
音楽 | ストーリー | 映像・演出 | 俳優 | 総合評 |
★★★ | ★★★★ | ★★★★★ | ★★★ | ★★★★ |
コメント | 昔のカウボーイは義理堅かったのに・・・と嘆くジョン・ウェイン。この嘆きも彼が老いたことの象徴なのであろう。もはや西部劇スターのイメージは薄れ、情感たっぷりにカウボーイを描いている。 集まった少年たちにうんざりするウィルだったが、まずは荒馬にテンカウント乗っていられるかのテストをする。600キロの移動。学校で男の子だけに雇うと告げる。雇うことになった途端に、次から次へとムショ帰りの男たちが雇ってくれとやってくるが、最後に黒人男を一人だけ雇う。 前半の山場は川を渡るシーン。牛の群れ、馬の背まで濁流に浸ってしまう様、壮大な自然と闘う幼き少年たちが見事にマッチしていた。ストーリー的にも、刑務所帰りの男が執拗に追ってきて少年を脅したり、少年の一人が落馬で死に至ったりと、かなり面白い。だけど、ウィルを殺されたからといって、子供たちに殺人をさせるのはどうなんだろ・・・ただ殺すだけなら問題なかっただろうに、最後は馬に引きずりまわさせたりするし・・・見方によれば、コアな作品なんだろうけど。 (2006.12)
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13歳の夏に僕は生まれた | 2005 イタリア コムストック QUANDO SEI NATO NON PUOI PIU NASCONDERTI |
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ストーリー | 北イタリアの裕福な家庭の少年サンドラは、13歳の夏に父と友人弁護士とともにクルージングに出かけ遭難する。助けられたのは不法移民を乗せた密航船。そこで知り合った兄妹と仲良くなり・・・ | |||
監督 | マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ | |||
出演 | マッテオ・ガドラ | アレッシオ・ボーニ | ミケーラ・チェスコン | |
音楽 | ストーリー | 映像・演出 | 俳優 | 総合評 |
★★★ | ★★★ | ★★★★ | ★★★ | ★★★ |
コメント | 衝撃のラスト映像・・・といってもジョディ・フォスター、ブルック・シールズを超えることはできないか。 テーマとしては、裕福な家庭に育った少年サンドロが不法移民を乗せた船に助けられ、様々な国の難民や貧しい人々と接し、世の中の価値観が変化するという、いわば少年の成長物語です。最初はボートから海に落ちてしまい、暗い海の中で漂う様は『オープン・ウォーター』を思い出すような映像でしたが、助けられたときには小さい船に100人以上乗っているかのような悲惨な密航船映像。凄すぎますよ、この船。クロアチア、モンテネグロ、クルド、アルバニア、インド、スリランカ、モロッコ、スーダンなど様々な国籍の難民が乗り合わせ、わからない言葉が飛び交うシーンでは、あたかも観客が無国籍地帯に放り出されたかのような感覚に。 裕福な家庭の少年という設定では、小市民的観点からするとこのサンドロ少年の心のほうが掴みにくい。ラドゥとアリーナの兄妹に心を許すものの決定的な繋がりに欠けているのです。自ら「信用するな」といった台詞には、彼らにこれ以上失うモノがないという投げやりな気持ちも含まれていたと思うのですが、同じ行動を取ろうとしても最後には帰る家があるサンドロには友達になるくらいの軽い気持ちだったのではないでしょうか。 しかし、この映画はなかなかいい。ぜひ裕福な少年たちに観てもらいたいものです。 2005年カンヌ国際映画祭コンペ (2006.9)
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12人の優しい日本人 | 1991 日本 アルゴプロジェクト |
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ストーリー | 『十二人の怒れる男』をモチーフに陪審員制度を日本にも取り入れた裁判もの。 | |||
監督 | 中原俊 | |||
出演 | 塩見三省 | 相島一之 | 上田耕一 | |
音楽 | ストーリー | 映像・演出 | 俳優 | 総合評 |
★★★ | ★★★★★ | ★★★★ | ★★★★ | ★★★★ |
コメント | 先にWOWOWでやってきた舞台版を観た。あちらは恩水さんが頑張っていた。 『十二人の怒れる男』では有罪を無罪にするまでの物語だったが、こちらは最初から無罪である。まぁ、初っ端にいきなり無罪だなんて、いい加減な評決に日本で裁判員制度があったら怖いなぁ〜とも感じたが、やはり「多数決は民主主義の基本」だなんて理念自体も怖いものだ。 被告は21歳の女性だが、離婚歴もあり、昼はスーパー夜はホステスと女手ひとつで子供を育てている。同情すべき相手というだけで、無罪にすること。しかし、人殺しをするようには見えないというだけで無罪の意見が大多数を占めるなんてのも、日本人の無関心度が窺えるし、他人の意見に同調してしまうという主体性のなさ。いろんな性格が見えて興味深い。 物証は手に入らないが、目撃者のおばちゃんとか、トラック運転手のうそ臭い証言。それに直前に出前を頼んだピザなど、材料は少ないものの見方も色々あって、色んな可能性を追求する姿もいい。 二転三転する意見はしょうがないかもしれないけど、本質的には人を思いやる気持ちがあるってのもタイトル通りで素敵なことです・・・ (2006.10)
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14歳 | 2006 日本 ぴあ |
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ストーリー | 深津稜は14歳の時に教師を刺してしまった過去を持つが、精神科医の影響で自ら中学教師となった。同級生の杉野はピアノ教師の言葉がショックでピアノの道を諦め、平凡な会社員となったが、上司に頼まれ14歳の少年にピアノを教えることに・・・ | |||
監督 | 廣末哲万 脚本:高橋泉 | |||
出演 | 並木愛枝 | 廣末哲万 | 染谷将大 | |
音楽 | ストーリー | 映像・演出 | 俳優 | 総合評 |
★★★ | ★★★ | ★★★ | ★★★★ | ★★★ |
コメント | テント張りで笑いが止まらなくなった杉野は平凡な会社員だと言ってたけど、その制服は明和電機のものでは・・・ 色々と問題のある中学生。喩えるのは失礼だけど、金八先生に出てくるようなエピソードをもっと暗くしたような雰囲気。教師側は生徒たちの思いがけない行動に対処できずにいるような、悩める先生ばかり。決して模範的な教師像を描いたわけじゃなく、自分の中学生時代を生徒たちに投影するかのように対処していく、精神面を描いた作品でした。 主人公でもある26歳の中学教師深津(並木愛枝)は中学時代に教師を彫刻刀で刺してしまった過去を持ち、通っている精神科医の影響で自ら教師の道を選んだ女性。医師の指摘通り、自分の14歳の時と同じ苦悩を持つ生徒を助けてあげたいと望んでるのだ。彼女の同級生であった杉野(廣末哲万)は平凡な会社員となっていたが、上司の頼みで自分の諦めた道でもあるピアノ教師をすることになった。彼もまた14歳の時に苦い経験があったのだ・・・ 傷害事件などが頻繁に起こる映画。傷そのものはたいしたことなくても、被害者も加害者もトラウマとなるかのような事件。彼らの心の中は、教師の高圧的な説教によって自己表現すら禁じられてるかのような精神世界でもあり、深津も杉野も14歳の記憶が欠如してしまってるかのよう。自分たちが教える側に立って、同じことをしているのではないかと気が付くところが絶妙な脚本となっているのです。 『ある朝スウプは』(未見)で高い評価を得た高橋泉が脚本、その出演者でもあった廣末哲万が監督・出演している。それでも低予算の作りに徹していて、手ぶれカメラ、照明もわざとなのか逆光にする場面があったりして、登場人物の心の闇を映し出してる。少年が弾く「亡き王女のためのパヴァーヌ」が全編通して流れ、バレエを禁じられた少女が「くるみ割り人形」を口ずさみながらステップを踏むシーンも印象的。 いわゆる学園モノ作品で、ドキュメンタリーのように日常を描きつつ、心の叫びを感じる映画はなかなか作れないと思う。ただ、バレエ少女につきまとわれるみっちゃんや、ピアノ少年に「気持ち悪い」と拒まれた女の子、それに傷つけあう少年たちの描写が少ないので不完全燃焼でした。そんな中、「憲法よりも校則が上」と主張する香川照之は圧倒的な存在感でした。 (2007.10)
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ジュエルに気をつけろ! | 2001 アメリカ ギャガ・ヒューマックス ONE NIGHT AT McCOOL'S |
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ストーリー | 自らの欲望のために男を手玉にとる悪女に3人の男たちが翻弄される物語。 | |||
監督 | ハラルド・ツワート | |||
出演 | リヴ・タイラー | マット・ディロン | ジョン・グッドマン | |
音楽 | ストーリー | 映像・演出 | 俳優 | 総合評 |
★★★★ | ★★★ | ★★★ | ★★★ | ★★★ |
コメント | マクールの店でバーテンをやってたマット・ディロン。外で荒くれ者のユタとケンカしていたジュエル(タイラー)を助けて、そのまま自宅に連れ帰りセックスしてしまう。しかし、それは芝居で美人局だったのだ。店に戻り金庫を開けるように脅されたが、後ろからジュエルがユタを撃った。 刑事のジョン・グッドマンは現場検証で彼女を見て惚れてしまう。いとこの弁護士もメロメロになってしまった。 3人それぞれが、殺し屋、神父、セラピストに相談するという構成が面白いし、最後に3人が一同に会し、そこへ最初に殺されたユタの兄が登場というハチャメチャな展開。コメディの割に、最後はかなり血なまぐさいのが残念。途中はかなり笑えたのでOK! (2007.9)
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ジュリア | 1977 アメリカ FOX JULIA |
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ストーリー | 1930年代、アメリカで戯曲の執筆をしているリリアン・ヘルマン(フォンダ)は幼い頃からの友人ジュリア(レッドグレーヴ)に会いたかった。しかしジュリアはウィーンで反ヒトラーの活動家だったのだ・・・ | |||
監督 | フレッド・ジンネマン | |||
出演 | ジェーン・フォンダ | ヴァネッサ・レッドグレーヴ | ジェイソン・ロバーズ | |
音楽 | ストーリー | 映像・演出 | 俳優 | 総合評 |
★★★ | ★★★ | ★★★★ | ★★★★★ | ★★★★ |
コメント | アメリカ女流劇作家のリリアン・ヘルマンの回顧録。時代はファシズムが横行している第二次世界大戦前夜だ。リリーとジュリアは2人とも裕福な家庭で育てられていたが、ジュリアはウィーンへ渡ってから労働者の運動に参加するようになった。なかなか会えない。久しぶりに再会したのはジュリアがデモの弾圧によって重傷を負ったとき。しばらくは執筆活動に専念していたが、リリーの戯曲が評価され、またもやヨーロッパへ。 ヨハンという男に声をかけられジュリアの金を活動家に渡してほしいと危険な任務を頼まれてしまう。ここから列車で移動するリリーが凄い。金の受け渡し方法は一切伝えられず、まるで伝言ゲームのように運搬は進む。同じコンパートメントで同席だった女性も仲間だったし、きょろきょろしながら恐怖と不安におののく姿。しかし任務を果たさないとジュリアに会えない。そんな切なさが伝わってくる。 ジュリアが義足だったことにも驚いてしまうが、彼女の凛々しさはリリーを励ましてくれるような。ジェーン・フォンダの心をそのまま共有できるかのような錯覚に陥るのです。戦争の描写はないけど、彼女たちがユダヤ人だったこともあって恐怖感も増す。ジュリアの死が伝えられ、ロンドンへ渡っても彼女の存在ごと抹殺されたミステリアスな状況。託されたリリーと名付けられた娘も見当たらないし、大切な思い出すら葬り去られた感覚に・・・ 夫にも先立たれ、残りの人生を孤独なまま過ごさなければならないリリアン・ヘルマンを想像すると、じわじわと悲しみが伝わってくる・・・そんな映画だ。 1977年アカデミー賞助演男優賞(ロバーズ、マクシミリアン・シェル)、助演女優賞、脚色賞 同作品賞、主演女優賞、監督賞、撮影賞、作曲賞、衣装デザイン賞、編集賞ノミネート 1977年ゴールデングローブ賞女優賞、助演女優賞 1978年英国アカデミー賞作品賞、主演女優賞、脚本賞、撮影賞 その他いっぱい (2008.2)
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呪霊 THE MOVIE | 2003 日本 パル企画 |
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ストーリー | 3つのホラーオムニバス | |||
監督 | 村上賢司 | |||
出演 | 市川由衣 | 五十嵐万紀 | 鈴木祐真 | |
音楽 | ストーリー | 映像・演出 | 俳優 | 総合評 |
★ | ★★ | ★★ | ★ | ★ |
コメント | 1 盲腸の手術で入院した女子高生。手術は上手くいったのに傷痕が悪化してゆく。そして毎夜見る隣室の少女の霊。同級生が心配して見舞いに行くが、彼女の恐怖に怯えた表情が忘れられずにネットで調べると、かつて心臓手術の失敗が原因で死亡した少女の霊を慰めるために毎年満月の夜に生贄が捧げられるという・・・ 2 それぞれの女の子がクシャミをすると空から男が落ちてきたり、隠していた写真、バイブなどが落ちてくる。みんなで面白がってわざとクシャミをさせるのだが、最後には連続失踪事件の犠牲者たちが落ちてくる・・・ 3 入院した弟につきそっていた小学生の男の子。「死んだらどうなるの?」「霊界に行く」などといった会話をする二人。そして兄は友達と一緒に心霊写真を撮りに廃墟となったビルに潜入するが、男女のエッチシーンを目撃して逃げる・・・帰宅して弟が死んだと告げられ・・・ 深夜のTVで放映されている番組のレベル。中には「世にも不思議な物語」クラスの面白いエピソードもあるが、OVだってこんなに低レベルじゃないだろう。しかし、出演しているのがアイドルを目指す可愛い女の子ばかり。 (2006.10)
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呪霊 THE MOVIE 黒呪霊 | 2004 日本 パル企画 |
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ストーリー | 悪霊にとり憑かれて死んだ少女が真っ黒な霊となって現世をさまよい、その少女に触れると死ぬという都市伝説。 | |||
監督 | 白石晃士 | |||
出演 | 若槻千夏 | 上野未来 | 一戸恵梨子 | |
音楽 | ストーリー | 映像・演出 | 俳優 | 総合評 |
★★★ | ★★★ | ★★★ | ★★ | ★★★ |
コメント | いきなりのタイトル“第十話”。などと言われても困ります。 路上でダンスの練習をしている少女たち。何か見たような気がした彼女たち。不気味な音が聞こえてくるけど、その音は『呪怨』のトシオの音じゃないのか・・・などと考えていると、すぐさま“第九話”。この意外な展開が不気味で面白い・・・ 自宅にいた紀子(若槻)はいなくなってしまった仁美が気になり携帯をかける。その着信音が家の中から聞こえる。音を頼りに探すと、バスルームに仁美が凄まじい断末魔の表情で死んでいた・・・そして・・・第八話。 前田(小倉一郎)がホテルにチェックインする。部屋に入り、娘の紀子に電話する。するとベッドの脇から二人の白い人間が・・・とビックリさせておいて第七話。 紀子は理恵から電話を受けて彼女の家に向かう。理恵はニュース映像に見入ってしまうが、それは映画館で行方不明の母娘が変死体として発見されたという内容。紀子に相談する理恵だったが、彼女が横にいても幽霊を見てしまう。突如、「帰れ」といわれてトボトボ帰る紀子。 第六話。美容室の手伝いをしている理恵。彼女が帰ったあと、やすこの母親である美容師は突如髪の毛に襲われる・・・ こうして『メメント』のように逆回転でエピソードが進んでいくが、感染経路を探っていくような展開で登場人物が変わっていくのでわかりやすい。しかし、この逆回転ムービーの面白さに夢中になるもののストーリーを再構築する楽しみ以外、怖さは徐々に半減していく。やっぱりホラーには向かない構成なのか、ワンパターンだから怖くなくなっていくのか、怖い話の挿入部分が怖くなかったからなのか、最初の第十話がよくわからなかったからなのか、台詞が聞き取りにくかったためなのか、黒い人と言ってるのに白っぽかったからなのか、終わってみるとたいしたことない映画だった・・・でも前作よりは数段上だ。 (2006.10)
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